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高校からの帰り道、俺は歩道橋の下で、赤い小さな円筒状のものがふたつ落ちているのを見つけた。最初はタラコか何かだと思ったのだが、それはピクリと動きフワリと浮かび上がったかと思うと、
「私はL19星雲からやってきたリップというものだ」
話しかけてきたのであった。
「わ、なんだなんだ」
「慌てるな」
宇宙人相手に落ち着いていられるか。
「だいたい、何しにやって来たんだ」
「それを説明しようとしているのに、君が勝手に騒いでるんだろう」
唇に諭された俺は、静かに耳を傾けることにした。
彼ら唇型宇宙人は、数百万年前に将来母星が居住不可能になると予測し、宇宙の各所に調査団を送り込んだそうだ。知的生命体がいない星では居住地を確保、知的生命体がいた場合は撤退という方針を取ったが、地球において当時の猿人をどう判断するか困ってしまった。
そこで彼らは第三の手段に出た。猿人に取り付くことにしたのだ。そう、唇として。彼らのおかげで猿人は言語を獲得し、進化した人類は文明を築いた。だが想定外なことに、その過程でミトコンドリアのごとく唇は人類と完全に同化し、単独で思考できなくなってしまったのだ。母星への連絡も途絶えた。
今回やってきたのは、母星がついに居住不可能になってきたので、かつて仲間を送り込んだ惑星を再調査するためだという。
いきなり信じられない話だが、目の前の唇の存在は否定できない。俺が混乱していると、
「では、少し試させてもらう」
それまでフヨフヨと浮いていたリップが、いきなり顔めがけて飛びついてきたのだ。
悪い予感とともに、唇に柔らかいものが押し付けられる感触があった。なんてことだ。俺、これがファーストキスなんですけど……。
しかも悔しいことに、ほどよい柔軟性と弾力性を持ったそれは、例えて言うなら柔らかいパスタ、さいきん初めて食べたニョッキという食べ物を思い出させるような、とても心地よいものであったのだ。
(何を陶酔している)
(そ、そっちからくっついてきたんだろうが。ていうか、いきなりテレパシーを使うな。なんでこんなことをするんだ)
(嘆かわしい、そんなことも忘れてしまったのか。われわれが音声を伴わない意思疎通を行う際、離れたままでも可能だが、接触した方がより確実なのだ。君たちはそれすら出来なくなってしまったようだな)
「ていうか、いつまでくっついてるんだ」
俺がひっぺがすと、リップは再び空中で停止した。
「いや、種族の性質として、この状態が気持ちよいのだよ。まあ、それはともかく、君たちの意思疎通能力に関してテストしようと思うのだが。君がこの星の他の相手と唇同士を接触している様子を検証させてもらいたい」
「テストって……。それに、そんな方法で意思疎通はできないぞ」
と、思うぞ。
「いや、先ほど可能だったように、能力の片鱗は残っている。それがどの程度か判断して惑星調査委員会に報告したい。この星の命運にも関わってくることだ」
「な……」
なんてことだ。
通学鞄にリップを放り入れて帰宅路を歩みながら、俺は悩むことしきりだった。俺の肩に、いや唇に、人類の運命がかかっているのだ。
だが、悲しいかな彼女のいない身に、キスさせてくれるような相手はいない。そりゃできるものなら、クラスのマドンナ早紀ちゃんか図書委員の瑞江ちゃんに頼みたいところだが、さすがに躊躇われる。小学校以来の幼馴染というか、腐れ縁とでもいうような相手であれば、ひとりいる。女子なのに落語研究会に入っている真代だ。彼女が相手というのは不本意だが、この際しかたがない。
翌日、教室で真代を見かけるや、俺はなかば強引に彼女を、校舎裏の人気のない場所に連れ出した。
「ちょっと、なによ。いきなりこんなところに連れ出して」
「詳しい説明は省く。キスさせてくれ」
ビシッ!
気持ちよい音がして、彼女は教室へと戻っていった。
放課後、頭を抱えている俺に真代のほうから話しかけてきた。
「ねえ、光男。変なことしたかと思ったら、ずっとボーッとしてるし、どうしたの本当に」
「なんでもないよ」
「なによ、人がせっかく心配してやってるのに」
「あ、待ってくれ」
説明だけでは信じてもらえないだろうが、実際に唇が浮かんだり話したりするのを見れば、信じざるを得ないだろう。いちかばちか、事情を説明してみよう。
「……と、いうわけなんだ」
「あんた、それ本気で言ってるの?」
「本気も本気、これが証拠だ」
俺は鞄からリップを取り出した。彼女はそれが何だか分かると、泣きそうな顔になった。やばい、もしかしてドン引きしている?
「さあ、なんとか言ってやってくれ」
だが、リップは何も反応しない。
「彼女がいなくて寂しいからって、こんな物まで作って……」
真代の声のトーンが妙に暗い。もしや俺の頭を心配してるのだろうか。
「そうだ、いまちょうどカウンセリングの先生が来てたはず、あたし保健室に行って……」
「待ってくれ」
立ち去りかけた彼女を引きとめようと、俺はその肩をつかんだ。
そのまま向かい合う形でまじまじと見詰め合うことになり、俺は困ってしまった。
「あ、その、熱とかは……大丈夫だよね?」
そう言いながら、真代もどうしていいかわからないような顔つきである。
ここでようやく気づいたのだが、これは唇を重ねるのにちょうどいい体勢になってしまっているではないか。だが、意識してしまうと、やりづらい。などと言ってる場合ではないのだ、人類の運命が、レトリックでなく実際に。ええい、もう。
俺は思いきって唇を重ねにいった。
真代も拒絶しなかった。
その柔らかさを感じながら、やっぱり人間のほうがいいよな、と俺は思っていた。
「証拠は見たぞ、光男君」
声が響いた。
「え、なに、今の声?」
真代がキョロキョロしている。
「お楽しみのところ悪いが、これで人類は安泰だ、よかったな」
真代が一瞬固まり、すぐにその顔に驚愕の表情が広がっていく。
「光男の言ってたこと、本当だったの?」
「あたりまえだ、誰があんな嘘つくか」
「じつはテストの話は嘘だ」
は?
「重大な任務だ、私だけでなく調査団は他にたくさんいる。到着したこの学校と町を拠点に、各種媒体を通じて、この星の文明の十分な情報はすでに得させてもらった。君をモデルケースにしてテストをというのは、少しからかってみただけだ」
シレッとなんてことを言うんだ、悩み明かしたのはなんだったんだ。
「はは、すまんすまん」
笑い声とともにリップは浮かび上がり、窓から外へ出て行った。
次の瞬間。
それまで、どこにこんなに潜んでいたのだろうか。
学校全体、校舎の隙間やグランドの片隅から、次々に、赤い小さなものが空に向かって上昇を始めたのだ。それらはすべて、唇の形をしていた。
数十個はあるだろう、大きさや形、色や艶も微妙に異なる、美しいたくさんの唇が、フワフワと空に向かってゆっくり舞い上がって行く。
校庭や校舎内に残っていた生徒や教師も空を見上げ、不思議な光景を呆然と眺めていた。
太陽の光を艶めかしく反射し、それ自体が輝いているかのような、唇、唇、唇。
幻想的とさえいえる光景に圧倒されていた俺の脳内に、リップの声が響いた。
(世話になったな。総合的な判断として、この星への移住はなされない可能性が大きいだろう。君たちの記憶から、私達に関することは消しておく。さらばだ)
頭の中にジリジリジリとベルの音が響くのを聴きながら、呆然と見送るしかなかった。
「ねえ、なんでいきなり……キスしたの?」
うつむいて真代が尋ねた。
理由を思い出せないのが少しもどかしかった。
・引き続きお題よろしくお願いします。